剣道とキリスト教

イエス・キリスト

捨てきること

捨てきること
  
「不動智神妙録」沢庵 宗彭(たくあん そうほう)著
池田諭 「心を捨てきること」の章より

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・江戸時代初期の禅僧・沢庵宗彭が執筆した「剣法(兵法)と禅法の一致(剣禅一致)」についての書物。徳川将軍家兵法指南役・柳生宗矩に与えられ、『五輪書』、『兵法家伝書』等と並び、後の武道に多大な影響を与えた。

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鎌倉の無学禅師(むがくぜんじ)、大唐の乱に捕らへられて、切らるゝ時に、電光影裏斬春風(でんこうえいりしゅんぷうをきる)という偈(げ=仏徳を称え教理を解く詩)を作りたれば、太刀をば捨てて走りたると也。
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鎌倉の無学禅師は、大唐の乱(1275年に、南宋が元に攻められた時のこと)で、元の兵に捕らえられ、まさに切られようという時「電光影裏斬春風」という偈を作ったところ、兵は刀を捨てて逃げたということです。
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・・・・・<中略>・・・・

かように心を忘れきって、万(よろず)のことをするが、上手の位なり。舞を舞へば、手に扇を取り、足を踏む。其(その)手足をよくせむ、舞を能く舞はむと思いて、忘れきらねば、上手とは申されず候。業(わざ)は皆面白かるまじ。悉皆(しっかい=ことごとく)心を捨てきらずして、する所作(しょさ)は皆悪敷(みなあしき)候。
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 我らの主、イエス・キリストは、
「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを見いだすのです。」(マタイの福音書
162425節)
と語られました。


「自分を捨て」を思うとき、「自分=心」を捨て切っているのだろうか?、と心探られる思いです。
 
 

「剣道とキリスト教」(別サイト)
『不動智妙新録』沢庵
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