剣道とキリスト教

知っている?


「知っている?」
 
使徒パウロは、ギリシャ南部のコリントの教会に宛てた手紙で、「自分は何かを知っていると思う人がいたら、その人は、知るべきほどのことをまだ知らないのです。」(1コリンと 8:2)と述べています。


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最近、国内外の政治動向に関連する<事実の断片>をもって、それが全てのように言い、「あなたもこれを知るべきだ」と 主張するケースや言動を目にします。
( facebookグループや、SNS、ブログ、インターネット上で。)

しかし、情報収集も「するかしないか」も含めて、その人(「知るべきだ」と迫られた人)の主体性にあることを心に留め、尊重すべきことであると思います。
 
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柳生但馬守(やぎゅうたじまのかみむねのり=柳生新陰流の開祖)に向かって「剣禅一如」を説いた沢庵は、「不動智神妙録」において、次のように述べています。
「・・・我がしらさる事、何ほどかあらんに、しらすして、みななき事といはゞ、百の事を六つ七つしりて、その他のことを人いふに、みななしといはゞ、九十みななき事になりぬ。・・・」
 
<現代訳>
「自分の知らないことが、この世の中にどれほどたくさんあることでしょうか? 知りもしないことだらけなのに、自分の知らないことは、みんなないことだといおうとします。百のことのうち、六つか七つしか知らない者が、それ以外のことをいわれて、それは全部、ない事だといいます。すると、九十かそれ以上のことが、みな、ないことになってしまいます。・・・」

(p.212
『知らずに疑う愚かさ』
 
 「不動智神妙録」
沢庵宗彭(たくあん そうほう)/池田諭訳/タチバナ教養文庫)
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時の嵐や渦には近づかないことが賢明のように思わされます。

そして、使徒ペテロ の手紙に記されているように、「柔和な心、恐れ敬う心、健全な良心」をもって、弁明していきたいものです。
(1ペテロ 3:16)
 
 
皆様の心が様々な流言や不安にさせる報道やコメント、人格や尊厳を省みないような言葉から守られますように、お祈りいたします。
 
  何を見張るよりも、あなたの心を見守れ。
  いのちの泉はこれから湧く。(箴言4:23)



捨てきること

捨てきること
  
「不動智神妙録」沢庵 宗彭(たくあん そうほう)著
池田諭 「心を捨てきること」の章より

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・江戸時代初期の禅僧・沢庵宗彭が執筆した「剣法(兵法)と禅法の一致(剣禅一致)」についての書物。徳川将軍家兵法指南役・柳生宗矩に与えられ、『五輪書』、『兵法家伝書』等と並び、後の武道に多大な影響を与えた。

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鎌倉の無学禅師(むがくぜんじ)、大唐の乱に捕らへられて、切らるゝ時に、電光影裏斬春風(でんこうえいりしゅんぷうをきる)という偈(げ=仏徳を称え教理を解く詩)を作りたれば、太刀をば捨てて走りたると也。
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鎌倉の無学禅師は、大唐の乱(1275年に、南宋が元に攻められた時のこと)で、元の兵に捕らえられ、まさに切られようという時「電光影裏斬春風」という偈を作ったところ、兵は刀を捨てて逃げたということです。
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・・・・・<中略>・・・・

かように心を忘れきって、万(よろず)のことをするが、上手の位なり。舞を舞へば、手に扇を取り、足を踏む。其(その)手足をよくせむ、舞を能く舞はむと思いて、忘れきらねば、上手とは申されず候。業(わざ)は皆面白かるまじ。悉皆(しっかい=ことごとく)心を捨てきらずして、する所作(しょさ)は皆悪敷(みなあしき)候。
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 我らの主、イエス・キリストは、
「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを見いだすのです。」(マタイの福音書
162425節)
と語られました。


「自分を捨て」を思うとき、「自分=心」を捨て切っているのだろうか?、と心探られる思いです。
 
 

「剣道とキリスト教」(別サイト)
『不動智妙新録』沢庵
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