剣道とキリスト教

理合と打突の機会


昨日(12/18)の剣道では、久しぶりに3名の先生方との練習の機会が与えられました。

動画は、一人の先生との練習の前半部分です。
(写真は、左)

剣道_2020-1212

相手の気の起こりや動きに合わせての剣道、と言うことで、「理合(りあい)」に心がけていますが、まだ、隙がないのに突っ込んで行くと言う悪い癖が出てしまっています。
動画の後半の部分では、出ようとした瞬間に、先生の鮮やかな小手打ちをいただきました。

「相手の右小手を攻めながら、打突の機会を見極めるように」との師範の教えを心に練習に励みました。


「気理合一」を目指して


「気理合一」を目指して

最近、小野派一刀流 宗家の笹森順造先生と息子の笹森建美先生(駒場エデン教会 牧師/2017年 8月15日 召天・84歳)のいくつかの 言葉を思い起こします。


A-剣道時代_1976-04_笹森順三先生をしのぶ_b
・クリックすると、拡大します。
A-剣道時代_1976-04_笹森順三先生をしのぶ_a
 
本多庸一(津軽藩・横浜バンドの一人)から影響を受けて弘前教会で笹森要蔵の長男卯一郎が洗礼を受けました。そして、要蔵の末子、笹森順造先生(駒場エデン教会牧師、笹森建美先生の父)は、「母の懐に抱かれながら、神様の話を聞いて、自然に神様を信じるようになった」と話されていたとのこと。
今、笹森順造先生の『日本人のとらざるところ』の言葉を最近、とみに思います。

「危急に臨んで気が騒ぐと、みずから敗を招くことになる。」

新型コロナウイルスの世界的な感染拡大(パンデミック)の2020年。そして、アメリカの大統領選を始め、日本、ヨーロッパ、中国、アジアなどの国際政治や株式・金融市場、企業や組織、各職場の動向など。
また、コロナ第三波のなかで、先が見えない私たちの市民生活。
心騒ぐことの多い中ですが、「われらはつねに真鋭を尊び、気理合一を目差してはげみ、そこに初めて必勝の神機が出てくることを求めて進む」ものでありたいと願います。
 

「必勝の神機」とは、笹森順造先生がキリスト者であられることを思うと、明らかに、聖書のあの教え、あの言葉を踏まえておられるのだと思います。

聖書の「あの教え」、「あの言葉」とは・・・、


「わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」
 (イエス・キリストのことば/ヨハネの福音書 16章33節)
ーーー

だれが、私たちをキリストの愛から引き離すのですか。苦難ですか、苦悩ですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。
・・・・・
しかし、これらすべてにおいても、私たちを愛してくださった方によって、私たちは圧倒的な勝利者です。
 (ローマ人への手紙 8章35〜37節:使徒パウロがローマの教会に宛てた書簡)



以下は、2016年の 4/16 に 「剣道とキリスト教」のブログや、facebook に投稿した一文です。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「日本人のとらざる所」

 (2016 416日)

昨日(4/15)の川西市剣道協会(本部道場)での練習の合間に、今年89歳になられる師範が二人の方に語っておられました。
私も、すぐ横で正座していたので、拝聴させていただきました。
「理合(りあい)のわからぬままに七段で終えてしまう者もある。」

剣の道はなかなか厳しいものと、あらためて思わされました。 
帰ってから、久しぶりに笹森順造先生の『剣道』の本を取り出し、幾つかの項目を読んでみました。
Kendo_Kendo-Michishirube


 ーーーーー
付録 三、剣道・しない競技用語解説
・「理・り」----- わざを出す心の働きにかなう道理。この理に従って機会に乗ずること。 
 ーーーーー
第二編 競技指針
 二、技術編
第二章 稽古の進め方
(乙)心術
 第四節 心気理機術の五格
  三、気理合一
 まず気を静めて相手に対する。危急に臨んで気が騒ぐと、みずから敗を招くことになる。たとえば水動いて魚驚くようなものである。平常から気を丹田に納め、驚、怖、惑、疑、憶、侮、驕の七病を去り、敢然として、理の則るべき端を捉え得るようにならなければならない。
 豪気も正理を逸すると百害あって一利ない。たとえば、流水原野に流れても、横溢氾濫したのでは田畑人畜に禍いを流すのみである。理に則り道によって奔れば発電、灌漑、飲料みな役に立つ。
 稽古における気合も強弱、虚実、掛引などに使うよりも最も大事なことは理によって勝つことである。打突の技にしても、理合正しく筋道正しく法に則って使うと、止むに止まれぬ尊い勝が出る。
 希勝や騙打ちはわれらの恥じる所、兵は詭道なりという孫氏の言は日本人のとらざる所である。
われらはつねに真鋭を尊び、気理合一を目差してはげみ、そこに初めて必勝の神機が出てくることを求めて進むのである。

 

ーーーーーーー

写真:
1. 剣道時代_1976-04_笹森順造範士急逝
2. 剣道時代_1976-04_笹森順造先生をしのぶ
3. 笹森順造 著『剣道』(左)
 佐々木季邦 著『剣道 みちしるべ』(右)

「日本人のとらざる所」

「日本人のとらざる所」
 
昨日(2016年 4/15)、川西市剣道協会(本部道場)での練習の合間に、今年89歳になられる師範が二人の方に語っておられました。
私も、すぐ横で正座していたので、拝聴させていただきました。

「理合(りあい)のわからぬままに七段で終えてしまう者もある。」

剣の道はなかなか厳しいものと、あらためて思わされました。
 
帰ってから、久しぶりに笹森順造先生の『剣道』の本を取り出し、幾つかの項目を読んでみました。

 
2_剣道とキリスト教_2015-1206.055
 ・写真:左 ----- 『剣道』笹森順造著・旺文社
     右 ----- 『剣道みちしるべ』佐々木季邦著
 
ーーーーー
 
付録 三、剣道・しない競技用語解説
・「理・り」----- わざを出す心の働きにかなう道理。この理に従って機会に乗ずること。
 
 ーーーーー
 
第二編 競技指針
 二、技術編
第二章 稽古の進め方
(乙)心術
 第四節 心気理機術の五格
  三、気理合一
 まず気を静めて相手に対する。危急に臨んで気が騒ぐと、みずから敗を招くことになる。たとえば水動いて魚驚くようなものである。平常から気を丹田に納め、驚、怖、惑、疑、憶、侮、驕の七病を去り、敢然として、理の則るべき端を捉え得るようにならなければならない。豪気も正理を逸すると百害あって一利ない。たとえば、流水原野に流れても、横溢氾濫したのでは田畑人畜に禍いを流すのみである。理に則り道によって奔れば発電、灌漑、飲料みな役に立つ。稽古における気合も強弱、虚実、掛引などに使うよりも最も大事なことは理によって勝つことである。
 打突の技にしても、理合正しく筋道正しく法に則って使うと、止むに止まれぬ尊い勝が出る。希勝や騙打ちはわれらの恥じる所、兵は詭道なりという孫氏の言は日本人のとらざる所である。われらはつねに真鋭を尊び、気理合一を目差してはげみ、そこに初めて必勝の神機が出てくることを求めて進むのである。

(『剣道』p.94〜95)
 
  
『剣道』 笹森順造
 旺文社スポーツシリーズ 15
  昭和30 7 5  初版発行
  昭和42 210日 重版発行
  発行所:旺文社


A-剣道時代_1976-04_笹森順三先生をしのぶ_a

A-剣道時代_1976-04_笹森順三先生をしのぶ_b

ーーーーー
 
<写真>
1. 笹森順造 著『剣道』(左)
 佐々木季邦 著『剣道 みちしるべ』(右)
2. 剣道時代_1976-04_笹森順三先生をしのぶ_b
3. 剣道時代_1976-04_笹森順三先生をしのぶ_a 


本年最後の剣道協会 本部道場の練習

「合理」「理にかなっている」は、一人でも可能。
しかし「理合」は、相手がいないと成り立たない。

まさにコミュニケーションの世界!

ーーー

本年最後の本部道場の練習に行ってきました。 (^^)//

久しぶりの剣道なので、ゆっくり、ゆったりの練習でした。
小学生、中学生は、動きが機敏ですね。
思わぬところで、一本打たれることも。

剣道_2019-12-28



剣道は、究極のコミュニケーション!


剣道は、究極のコミュニケーション!
 
左膝を痛めていたので、剣道の練習はしばらく休んでいました。
今日(12/13)は一ヶ月ぶりに、総合体育館の二階、武道室で行われている、本部道場の練習に参加。
軽めの練習(6割くらい)でセーブしました。 

庄司師範の教え_理合と竹刀の持ち方_2019-1213

92歳の師範と、60歳台のN先生と、本部道場代表のT先生との練習。
早めに、15分くらい前に練習を終えて、面を外して素振りをしていると、近づいて来られた師範が、にこやかに「剣道は精神、理合、許すところ・許さざるところ、の鍛練です。闇雲に打ち込んでは上達しません。」と声をかけてくださいました。
短い時間ですが、いつも、大切な教え。
竹刀の握り方、左手と右手の使い方、打ち方も。 


 
私にとっては、なかなか習得が難しい教え「理合(りあい)」、究極のコミュニケーションの領域です。
 
知ったこと、分かったことと、体得しているか否かは、全く違いますね。
 
ーーーーー
 
神学校で、神学生たちを前に「キリスト教人間学」(旧講座名・「教育心理学・発達心理学」)を家内と二人で教えていた時のメインテキスト『バウンダリーズ:境界線』(ヘンリー・クラウド/ジョン・タウンゼント 著/中村佐和・中村昇 共訳/地引網出版 / 2004-10/1 発行)のことを思い出していました。
 
この本が出版されて間もない時に、大阪のジュンク堂書店で神学校の授業用にふさわしい本がないか、家内と探しに行っていて、見つけました。(20054月)

UNADJUSTEDNONRAW_thumb_399de UNADJUSTEDNONRAW_thumb_399df

それで、神学校の授業講座名も「キリスト教人間学」に変更。
この講座名で再スタートした頃、翻訳者の中村佐知さん(アメリカ在住)にメールで連絡をして、いろいろアドバイスもいただきました。
 
当時、教会内の対人関係(牧師・役員・教会員)で悩みを抱えたり、心身共に疲れを覚えて通院や休業、退職を余儀なくされた牧師たちの事例が、関西地域の各教団・教派の諸教会でも見受けられるようになっていました。

それから、15年。
対人関係における「バウンダリーズ」の大切さ、良きコミュニケーションを培うことの重要性については、日本の社会でも当然の基本的知識として共有されて来てはいます。
ただ、お互いに、どれだけ「体得」しているかは、別なのかもしれません。
 
教会においても、社会の様々な領域でも、良き人間関係や互いに敬い尊敬する「良きコミュニケーション」を培う(体得する)ことは、本当に大切ですね。
 
聖書の教え、剣道の教えも、共通しています。
 
<聖書の教え>
「愛をもって真理を語り」、「尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい。」
 
<剣道の精神・キリスト者の生き方>
 「円満」「柔和に穏やかに」
・小野派一刀流 17代宗家:笹森建美師 の言葉。
 (日本基督教団 駒場エデン教会牧師 / 20178/15 召天)
ーーーーー