キリシタン
古い「家形の墓石(石殿)」について
2018/07/05 20:23
今日(2018-7/5)のNHKの「日本人のおなまえっ!」をみた高崎市の母親(90歳)から先ほど電話がありました。
母が幼少時から見ていた、井草一族の墓地には、古い「家形の墓石(石殿)」がいくつもあり、不思議に思っていたところ、今夜の番組で「キリシタン」の墓石だと番組の中で話されていたとのこと。
また、だいぶ以前(母が若い頃)に、群馬大学の方々が墓地の墓石の調査に来られたと母から聞いたことがあります。
私も、帰省するたびに不思議に思い、よく写真に撮影していました。
おそらく、「家形の墓石(石殿)」14〜15基あるのではないかと思います。
多くは正面に、2〜4個の「窓」が開けられ、時には、ハートを逆さにしたような「窓」が開いたものもあります。そして、屋根の上は、宝塔の上部のような形になっています。(写真上)
特に、その中で3基ぐらいは、明らかに細長い屋根の形をした家形のキリシタン墓石(墓碑)。(写真下)
時々、家形の墓石の中には、いわゆる「マリア観音」などのキリシタンの礼拝の対象が隠されているのではないかと思いつつ撮影していました。
<写真上:2005年9月7日 撮影>
<写真下:2018年11月3日 撮影>


昔(室町時代?、遠国時代の初め?)から、前橋の天台宗のお寺との関係が深いようですが・・・。
現在も、一族の墓地では「井草」の名字の人のみの埋葬とのこと。
私たち夫婦は、服部霊園にある、「日本メノナイトブレザレン教団」の納骨堂に、埋葬!!、ということは、息子たちにも伝えています。
ーーーーーーーーー
以下の記事は、「クリスチャントゥデイ」の昨年(2017年5月12日)の記事です。
この記事の「家形の墓石」と同じものが、数年前の墓地整備の後に改装された墓地の一角に集められています。
ということは、・・・我が先祖の何人(何家族も?)かは、キリシタンだったのかもしれません。
また、それ以前に「『多胡碑』にまつわる族長の代表「羊(ひつじ)」という名前の人物」と近郊の地域の住民(各村)とのこともあるので、中央アジア(カザフスタン?)からの渡来人かも??
秀吉と家康、そして江戸幕府によって、徹底的なキリシタン弾圧と迫害の歴史によって日本人の心に刻まれた「キリスト教に対する警戒心や反発、隔ての壁」が打ち壊されようとしている今。
「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が、6月30日にユネスコの世界遺産として登録されたことも契機となって、終わりの時の「日本の大宣教時代」が訪れようとしているのかもしれません。
北関東、そして日本全国のキリシタン研究や渡来人にまつわる研究と調査が進むようにと、祈ります。
*「クリスチャントゥデイ」(2017年5月12日)
『北関東の渡瀬・鬼石キリシタン殉教者顕彰祭」
https://www.christiantoday.co.jp/articles/23739/20170512/silence-movie-catholic-hidden-christian.htm
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母が幼少時から見ていた、井草一族の墓地には、古い「家形の墓石(石殿)」がいくつもあり、不思議に思っていたところ、今夜の番組で「キリシタン」の墓石だと番組の中で話されていたとのこと。
また、だいぶ以前(母が若い頃)に、群馬大学の方々が墓地の墓石の調査に来られたと母から聞いたことがあります。
私も、帰省するたびに不思議に思い、よく写真に撮影していました。
おそらく、「家形の墓石(石殿)」14〜15基あるのではないかと思います。
多くは正面に、2〜4個の「窓」が開けられ、時には、ハートを逆さにしたような「窓」が開いたものもあります。そして、屋根の上は、宝塔の上部のような形になっています。(写真上)
特に、その中で3基ぐらいは、明らかに細長い屋根の形をした家形のキリシタン墓石(墓碑)。(写真下)
時々、家形の墓石の中には、いわゆる「マリア観音」などのキリシタンの礼拝の対象が隠されているのではないかと思いつつ撮影していました。
<写真上:2005年9月7日 撮影>
<写真下:2018年11月3日 撮影>

昔(室町時代?、遠国時代の初め?)から、前橋の天台宗のお寺との関係が深いようですが・・・。
現在も、一族の墓地では「井草」の名字の人のみの埋葬とのこと。
私たち夫婦は、服部霊園にある、「日本メノナイトブレザレン教団」の納骨堂に、埋葬!!、ということは、息子たちにも伝えています。
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以下の記事は、「クリスチャントゥデイ」の昨年(2017年5月12日)の記事です。
この記事の「家形の墓石」と同じものが、数年前の墓地整備の後に改装された墓地の一角に集められています。
ということは、・・・我が先祖の何人(何家族も?)かは、キリシタンだったのかもしれません。
また、それ以前に「『多胡碑』にまつわる族長の代表「羊(ひつじ)」という名前の人物」と近郊の地域の住民(各村)とのこともあるので、中央アジア(カザフスタン?)からの渡来人かも??
秀吉と家康、そして江戸幕府によって、徹底的なキリシタン弾圧と迫害の歴史によって日本人の心に刻まれた「キリスト教に対する警戒心や反発、隔ての壁」が打ち壊されようとしている今。
「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が、6月30日にユネスコの世界遺産として登録されたことも契機となって、終わりの時の「日本の大宣教時代」が訪れようとしているのかもしれません。
北関東、そして日本全国のキリシタン研究や渡来人にまつわる研究と調査が進むようにと、祈ります。
*「クリスチャントゥデイ」(2017年5月12日)
『北関東の渡瀬・鬼石キリシタン殉教者顕彰祭」
https://www.christiantoday.co.jp/articles/23739/20170512/silence-movie-catholic-hidden-christian.htm
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