剣道とキリスト教

バイデン氏

知っている?


「知っている?」
 
使徒パウロは、ギリシャ南部のコリントの教会に宛てた手紙で、「自分は何かを知っていると思う人がいたら、その人は、知るべきほどのことをまだ知らないのです。」(1コリンと 8:2)と述べています。


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最近、国内外の政治動向に関連する<事実の断片>をもって、それが全てのように言い、「あなたもこれを知るべきだ」と 主張するケースや言動を目にします。
( facebookグループや、SNS、ブログ、インターネット上で。)

しかし、情報収集も「するかしないか」も含めて、その人(「知るべきだ」と迫られた人)の主体性にあることを心に留め、尊重すべきことであると思います。
 
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柳生但馬守(やぎゅうたじまのかみむねのり=柳生新陰流の開祖)に向かって「剣禅一如」を説いた沢庵は、「不動智神妙録」において、次のように述べています。
「・・・我がしらさる事、何ほどかあらんに、しらすして、みななき事といはゞ、百の事を六つ七つしりて、その他のことを人いふに、みななしといはゞ、九十みななき事になりぬ。・・・」
 
<現代訳>
「自分の知らないことが、この世の中にどれほどたくさんあることでしょうか? 知りもしないことだらけなのに、自分の知らないことは、みんなないことだといおうとします。百のことのうち、六つか七つしか知らない者が、それ以外のことをいわれて、それは全部、ない事だといいます。すると、九十かそれ以上のことが、みな、ないことになってしまいます。・・・」

(p.212
『知らずに疑う愚かさ』
 
 「不動智神妙録」
沢庵宗彭(たくあん そうほう)/池田諭訳/タチバナ教養文庫)


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時の嵐や渦には近づかないことが賢明のように思わされます。 

そして、使徒ペテロ の手紙に記されているように、「柔和な心、恐れ敬う心、健全な良心」をもって、弁明していきたいものです。
(1ペテロ 3:16)
 
 
皆様の心が様々な流言や不安にさせる報道やコメント、人格や尊厳を省みないような言葉から守られますように、お祈りいたします。
 
  何を見張るよりも、あなたの心を見守れ。
  いのちの泉はこれから湧く。(箴言4:23)



2020/12/20 投稿記事YouTube 動画にて再録(2021- 6/22)