剣道とキリスト教

本年最後の剣道協会 本部道場の練習

「合理」「理にかなっている」は、一人でも可能。
しかし「理合」は、相手がいないと成り立たない。

まさにコミュニケーションの世界!

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本年最後の本部道場の練習に行ってきました。 (^^)//

久しぶりの剣道なので、ゆっくり、ゆったりの練習でした。
小学生、中学生は、動きが機敏ですね。
思わぬところで、一本打たれることも。

剣道_2019-12-28



剣道は、究極のコミュニケーション!


剣道は、究極のコミュニケーション!
 
左膝を痛めていたので、剣道の練習はしばらく休んでいました。
今日(12/13)は一ヶ月ぶりに、総合体育館の二階、武道室で行われている、本部道場の練習に参加。
軽めの練習(6割くらい)でセーブしました。 

庄司師範の教え_理合と竹刀の持ち方_2019-1213

92歳の師範と、60歳台のN先生と、本部道場代表のT先生との練習。
早めに、15分くらい前に練習を終えて、面を外して素振りをしていると、近づいて来られた師範が、にこやかに「剣道は精神、理合、許すところ・許さざるところ、の鍛練です。闇雲に打ち込んでは上達しません。」と声をかけてくださいました。
短い時間ですが、いつも、大切な教え。
竹刀の握り方、左手と右手の使い方、打ち方も。 


 
私にとっては、なかなか習得が難しい教え「理合(りあい)」、究極のコミュニケーションの領域です。
 
知ったこと、分かったことと、体得しているか否かは、全く違いますね。
 
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神学校で、神学生たちを前に「キリスト教人間学」(旧講座名・「教育心理学・発達心理学」)を家内と二人で教えていた時のメインテキスト『バウンダリーズ:境界線』(ヘンリー・クラウド/ジョン・タウンゼント 著/中村佐和・中村昇 共訳/地引網出版 / 2004-10/1 発行)のことを思い出していました。
 
この本が出版されて間もない時に、大阪のジュンク堂書店で神学校の授業用にふさわしい本がないか、家内と探しに行っていて、見つけました。(20054月)

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それで、神学校の授業講座名も「キリスト教人間学」に変更。
この講座名で再スタートした頃、翻訳者の中村佐知さん(アメリカ在住)にメールで連絡をして、いろいろアドバイスもいただきました。
 
当時、教会内の対人関係(牧師・役員・教会員)で悩みを抱えたり、心身共に疲れを覚えて通院や休業、退職を余儀なくされた牧師たちの事例が、関西地域の各教団・教派の諸教会でも見受けられるようになっていました。

それから、15年。
対人関係における「バウンダリーズ」の大切さ、良きコミュニケーションを培うことの重要性については、日本の社会でも当然の基本的知識として共有されて来てはいます。
ただ、お互いに、どれだけ「体得」しているかは、別なのかもしれません。
 
教会においても、社会の様々な領域でも、良き人間関係や互いに敬い尊敬する「良きコミュニケーション」を培う(体得する)ことは、本当に大切ですね。
 
聖書の教え、剣道の教えも、共通しています。
 
<聖書の教え>
「愛をもって真理を語り」、「尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい。」
 
<剣道の精神・キリスト者の生き方>
 「円満」「柔和に穏やかに」
・小野派一刀流 17代宗家:笹森建美師 の言葉。
 (日本基督教団 駒場エデン教会牧師 / 20178/15 召天)
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捨てきること

捨てきること
  
「不動智神妙録」沢庵 宗彭(たくあん そうほう)著
池田諭 「心を捨てきること」の章より

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・江戸時代初期の禅僧・沢庵宗彭が執筆した「剣法(兵法)と禅法の一致(剣禅一致)」についての書物。徳川将軍家兵法指南役・柳生宗矩に与えられ、『五輪書』、『兵法家伝書』等と並び、後の武道に多大な影響を与えた。

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鎌倉の無学禅師(むがくぜんじ)、大唐の乱に捕らへられて、切らるゝ時に、電光影裏斬春風(でんこうえいりしゅんぷうをきる)という偈(げ=仏徳を称え教理を解く詩)を作りたれば、太刀をば捨てて走りたると也。
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鎌倉の無学禅師は、大唐の乱(1275年に、南宋が元に攻められた時のこと)で、元の兵に捕らえられ、まさに切られようという時「電光影裏斬春風」という偈を作ったところ、兵は刀を捨てて逃げたということです。
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・・・・・<中略>・・・・

かように心を忘れきって、万(よろず)のことをするが、上手の位なり。舞を舞へば、手に扇を取り、足を踏む。其(その)手足をよくせむ、舞を能く舞はむと思いて、忘れきらねば、上手とは申されず候。業(わざ)は皆面白かるまじ。悉皆(しっかい=ことごとく)心を捨てきらずして、する所作(しょさ)は皆悪敷(みなあしき)候。
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 我らの主、イエス・キリストは、
「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを見いだすのです。」(マタイの福音書
162425節)
と語られました。


「自分を捨て」を思うとき、「自分=心」を捨て切っているのだろうか?、と心探られる思いです。
 
 

「剣道とキリスト教」(別サイト)
『不動智妙新録』沢庵
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大きく踏み込む「面」の練習

大きく踏み込む「面」の練習
〜痛めた膝と腿(もも)の番(つが)いで、思い起こしたヤコブ(イスラエル)の物語〜


 一ヶ月ちょっと前(10/15)の剣道の練習で、左膝の後ろ側の筋を痛めました。

様子を見ながらの2週間目からの練習でしたが、ちょうど一ヶ月目(11/15)の練習で、ちょっと足を気にしながらの面の踏み込みで、今度は、左膝の内側の筋をちょっと痛めました。それと、左足の付け根の前側の筋もちょっと痛めた感じ。 腰骨の下側(前側)の左足の付け根の筋肉(筋)が、まだ時々痛みが走ります。

 最近、「面打ち」で、相手に悟られないように、大きく踏み出す方法(= facebook の「居合の友だち」から頂いた示唆を心に)を会得したので、時々使っていたのですが・・・。

 やはり、年齢とともに体の筋肉や筋が硬くなっているのでしょうね。 それにしても、この「面打ち」の方法だと、先生方も後ろに下がって受け流そうとしても、ほぼ必ず「面」を捉えていたので、<特技>になるかと思っていました。 まだ、慣れていないので、少し、無理があったのかも?
というわけで、湿布しながら、11月の練習はお休み中。

 肉離れは、回復までちょっと(だいぶ?)時間がかかります。

来週の金曜日から、剣道の練習再開できると良いのですが… .
(^_^;)

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 イスラエル民族の先祖ヤコブが、夜中に神様(主の使い)と組討して、腿(もも)のつがい(関節)を打たれて(外されて)もなお、組討(相撲)をしていたという、旧約聖書のみ言葉(物語)を思い起こします。 (創世記32章)
 夜が開け始める中で、神様から「あなたの名は、イスラエル(神=エル* 戦って=イスラ 勝利を得た)としなさい。」と命ぜられたのでした。
神からの祝福や事の解決(祈りの答え)を得るまで、「神と組討する」ような 信仰者の系譜に自らの身も置かせていただきたいものだと思わされます。
(* --- ヘブル語の「神」の意味)

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動画は、11/15 の練習。
先生との地稽古で、大きく踏み込む「面」を練習しました。

・川西市剣道協会 本部道場(総合体育館 2F・武道室)にて



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<創世記 32章 24〜32節>
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24 ヤコブはひとりだけ、あとに残った。すると、ある人が夜明けまで彼と格闘した。
25 ところが、その人は、ヤコブに勝てないのを見てとって、ヤコブのもものつがいを打ったので、その人と格闘しているうちに、ヤコブのもものつがいがはずれた。
26 するとその人は言った。「わたしを去らせよ。夜が明けるから。」しかし、ヤコブは答えた。「私はあなたを去らせません。私を祝福してくださらなければ。」
27 その人は言った。「あなたの名は何というのか。」彼は答えた。「ヤコブです。」
28 その人は言った。「あなたの名は、もうヤコブとは呼ばれない。イスラエルだ。あなたは神と戦い、人と戦って、勝ったからだ。」
29 ヤコブが、「どうかあなたの名を教えてください」と尋ねると、その人は、「いったい、なぜ、あなたはわたしの名を尋ねるのか」と言って、その場で彼を祝福した。
30 そこでヤコブは、その所の名をペヌエルと呼んだ。「私は顔と顔とを合わせて神を見たのに、私のいのちは救われた」という意味である。
31 彼がペヌエルを通り過ぎたころ、太陽は彼の上に上ったが、彼はそのもものために足を引きずっていた。
32 それゆえ、イスラエル人は、今日まで、もものつがいの上の腰の筋肉を食べない。あの人がヤコブのもものつがい、腰の筋肉を打ったからである。

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「赤子を抱く構え」と「茶巾絞りの打突」



 ● 昨日(3/22)の剣道の練習
 

最近、だいぶ以前に田野師範からお聞きした「赤子を抱く構え」と、今の師範(庄司師範)が時々言われる打突における「茶巾絞り」の奥義が、わかったように思います。
「赤子を抱く構え」でないと「茶巾絞り」の打突はできない!!
 
両腕に赤子を抱く構えせよクリスマスに聞く師範の教え  

写真は、いつもご指導をいただく、七段の先生。(右) 
私と同年代の先生方なので、気持ちは同じ心でと練習させていただいています。
 
いつも、鮮やかな「出小手」と「抜き胴」を決められます。 
時々、「小手ー胴」の連続技か「面ー磨りあげ面」で、数本は応じておりますが・・・。

左側が私。
最近、姿勢には気をつけています。 


「茶巾絞り」について

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