剣道とキリスト教

剣道の教え

猛暑の中の「土用稽古」

猛暑の中の「土用稽古」

今日(8/11)の稽古、猛暑の中何とか練習を終えました。
私(高齢者:8月に、72歳 )は、10分前に練習を切り上げました。
(^◇^;)
💦
 
剣道_面の練習_K先生と_2023-0811

最初の写真(左側)は、K先生との面の練習。
真っ直ぐに竹刀を打ち下ろし、面を打つ。
練習の最後の一本で、相手(先生)の面打ちの竹刀を弾き落としつつ、「面打ち」。
「よろしい!」との一声をいただきました。
 
剣道_2023-0811

2枚目の写真は、左側の二列目です。
地稽古中。
最後は息が上がってきて、一本勝負を申し出ました。
結果は・・・、出小手を一本取られました。

剣道は、まさに「面に始まり、面に終わる」との言葉の通りですね。
 
面打ちの練習をしながら、庄司典雄師範からの教えを思い出しました。
以前の YouTube動画です。

https://youtu.be/CQya_mWaBN8





「一刀流極意」のDVD

注文していた笹森建美先生の「一刀流極意」のDVDが届きました。

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以前、お父様の笹森順三先生が著された「一刀流極意」の本は手に入れていましたので、これから書籍と映像で剣道の奥義を深めていけそうです。

「小野派一刀流」の大太刀50本の内の10本が収録されています。

収録は、笹森牧師の日本キリスト教団 駒場エデン教会の礼拝堂(道場)でされています。

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蹲踞と無刀素振り 2022-6/9

蹲踞と無刀素振り 2022-6/9


朝からの「腰痛」ですが、重症化しないように『腰痛からの回復と予防には、蹲踞が一番&丹田式呼吸+プラス「ピヨぐま式無刀素振り」』を実践してみました。

布団でしばらく横になって、夕食をいただき、その後で、動画撮影しながら、20分ほど実際にやってみました。

体も暖かくなり、腰痛もだいぶマシになった感じです。

あとは、暖かい風呂に入って、早く寝るのみですね。 
 
 
2022-6/9



庄司師範との練習(2018-3/9)


庄司典雄師範との練習(2018-3/9)

庄司師範の「面擦り上げ胴」の速さと鮮やかさに教えられます。

2分30秒の練習で、息切れ・ふらふらになっていました。

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4年前の 2018年3月の「庄司典雄師範との練習」です。

師範は、この時、90歳。
私も、練習を続けて90歳代も元気に<全てに現役>でいきたいですね。

先日、お会いした折には、年齢的なこともあり、周囲に迷惑がかかるといけないので、剣をとっての指導は控えられるとのことでした。

今までの練習動画は、私にとって、貴重な「教え」そのものです。

 
https://youtu.be/F4LPGsyokKI





「面ー擦り上げ胴」の申し合わせ稽古

「面ー擦り上げ(返し)胴」の申し合わせ稽古_2022-0322
 
*剣道の技_左巴(右胴払)・右巴(左胴払)、及び、擦り上げ胴の練習です。

「申し合わせ稽古」で、「面ー擦り上げ(返し)胴」の練習をしました。
 
ーーー
 
笹森順造先生の『剣道』の「第六項 胴技の範例」(p.132)では、「受け払」、「撥き払」、「落し払」、「巻き払」、「抜け払」について記されています。
 
特に大切な点は、「右胴」を打った後の残心は「脇構え」で、「左胴(逆胴)」を打った後の残心は、「陽の構え」と、記されています。

足捌きも重要ですが、特に「左胴」を打った(払った)後に「陽の構え」を取ると、綺麗に打てるようです。 
 

 
『剣道』は、高校生時代(1968年頃)に購入した「旺文社スポーツシリーズ」の本ですが、小野派一刀流の宗家で、笹森建美牧師(2017年8月15日 召天・駒場エデン教会)のお父上、笹森順造先生のこの本は、今でも大切にして、時々読んでいます。 


笹森建美牧師(新潮社『武士道とキリスト教』)
・Amazon
 
https://amzn.to/3uvQ0CP 

・新潮社
 
https://www.shinchosha.co.jp/book/610505/
 
・『剣道』笹森順造著 の書籍(写真)について
 
https://peterpooh.blog.ss-blog.jp/2017-08-18

庄司典雄師範による 面、小手、胴打ちの教え

庄司典雄師範による 面、小手、胴打ちの教え( 2018-5/11
 
(・2022年3月15日に、庄司師範から YouTube 掲載の承諾をいただきました。)
 
2018年5月11日の練習での、庄司典雄師範(90歳)による「面、小手、胴」打ちの指導です。
小学生の男子に、わかりやすく教えてくださっています。

高段者にとっても、とても大切な「面、小手、胴打ちの教え」の、まさに真髄といえましょう。


「胴打ち後の残心」の注意点について


「胴打ち後の残心」の注意点について

 
先生との地稽古で「面ー擦上げ (返し)胴」を打ったのですが・・・。

打った瞬間までは良かったのですが、抜けた後の姿勢(残心)が悪く、間髪入れずに先生に面を打たれました。


この状態だと、「一本」にはなりませんね。
 
日頃、本部道場の庄司師範から言われていた教えを思い出しました。

胴打ち後の残心_2018-0309

ーーー
 
・通常の面打ちの場合で注意すること

中段の構えから胴に打って出る時も、打った瞬間も、また相手から右に抜ける時(ちょうど、相手の真横)まで、相手の「目」を見るようにする こと。
 
子どもたちとの稽古の時も、師範からのこの教えを伝えています。
胴打ちの習いたてのときは、どうしても打とうとする相手の胴の部分を見てしまいがちになります。
すると、視線は下向きとなり、打った時の姿勢が崩れたり、竹刀がいわゆる「平打ち」になっていたりします。
相手の目を見たまま真っ直ぐに打ちに出て、打突の部位(胴)も見ないで胴を打ち、そのままできるだけすれ違う時も横目で相手の目を見るようにすると、自然にとても綺麗な胴打ちとなります。
上手く胴を打てなかった子どもたちが、この一言で綺麗な胴打ちとなります。

不思議ですね!

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ということで、写真では先生の「面」に応じて擦り上げ(受け止め)、返して「胴」を打つまでは良かったですが、抜ける時に<視線が下向き>になっており、体が崩れてしまっていました。

また、抜けた後も「日本剣道形」の7本目のように、間合いが切れているか、相手を見ているかどうか、ここが大切!

教えられたことを、自ら<体得>するのは、なかなか難しいものです。


必勝の神機

「剣道とキリスト教」(第5回)

『必勝の神機』
〜「気理合一」を目指して〜

最近、小野派一刀流 宗家の笹森順造先生のいくつかの 言葉を思い起こします。
「必勝の神機」、「気理合一」、「日本人の取らざるところ」・・・。
 
「必勝の神機」とは、何でしょうか?
剣道の教えと、聖書の奥義「圧倒的な勝利」について、お話しします。


2021-7/12
・YouTube 動画:16

知っている?


「知っている?」
 
使徒パウロは、ギリシャ南部のコリントの教会に宛てた手紙で、「自分は何かを知っていると思う人がいたら、その人は、知るべきほどのことをまだ知らないのです。」(1コリンと 8:2)と述べています。


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最近、国内外の政治動向に関連する<事実の断片>をもって、それが全てのように言い、「あなたもこれを知るべきだ」と 主張するケースや言動を目にします。
( facebookグループや、SNS、ブログ、インターネット上で。)

しかし、情報収集も「するかしないか」も含めて、その人(「知るべきだ」と迫られた人)の主体性にあることを心に留め、尊重すべきことであると思います。
 
ーーー

柳生但馬守(やぎゅうたじまのかみむねのり=柳生新陰流の開祖)に向かって「剣禅一如」を説いた沢庵は、「不動智神妙録」において、次のように述べています。
「・・・我がしらさる事、何ほどかあらんに、しらすして、みななき事といはゞ、百の事を六つ七つしりて、その他のことを人いふに、みななしといはゞ、九十みななき事になりぬ。・・・」
 
<現代訳>
「自分の知らないことが、この世の中にどれほどたくさんあることでしょうか? 知りもしないことだらけなのに、自分の知らないことは、みんなないことだといおうとします。百のことのうち、六つか七つしか知らない者が、それ以外のことをいわれて、それは全部、ない事だといいます。すると、九十かそれ以上のことが、みな、ないことになってしまいます。・・・」

(p.212
『知らずに疑う愚かさ』
 
 「不動智神妙録」
沢庵宗彭(たくあん そうほう)/池田諭訳/タチバナ教養文庫)


ーーー
  
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時の嵐や渦には近づかないことが賢明のように思わされます。 

そして、使徒ペテロ の手紙に記されているように、「柔和な心、恐れ敬う心、健全な良心」をもって、弁明していきたいものです。
(1ペテロ 3:16)
 
 
皆様の心が様々な流言や不安にさせる報道やコメント、人格や尊厳を省みないような言葉から守られますように、お祈りいたします。
 
  何を見張るよりも、あなたの心を見守れ。
  いのちの泉はこれから湧く。(箴言4:23)



2020/12/20 投稿記事YouTube 動画にて再録(2021- 6/22)


「気理合一」を目指して


「気理合一」を目指して

最近、小野派一刀流 宗家の笹森順造先生と息子の笹森建美先生(駒場エデン教会 牧師/2017年 8月15日 召天・84歳)のいくつかの 言葉を思い起こします。


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・クリックすると、拡大します。
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本多庸一(津軽藩・横浜バンドの一人)から影響を受けて弘前教会で笹森要蔵の長男卯一郎が洗礼を受けました。そして、要蔵の末子、笹森順造先生(駒場エデン教会牧師、笹森建美先生の父)は、「母の懐に抱かれながら、神様の話を聞いて、自然に神様を信じるようになった」と話されていたとのこと。
今、笹森順造先生の『日本人のとらざるところ』の言葉を最近、とみに思います。

「危急に臨んで気が騒ぐと、みずから敗を招くことになる。」

新型コロナウイルスの世界的な感染拡大(パンデミック)の2020年。そして、アメリカの大統領選を始め、日本、ヨーロッパ、中国、アジアなどの国際政治や株式・金融市場、企業や組織、各職場の動向など。
また、コロナ第三波のなかで、先が見えない私たちの市民生活。
心騒ぐことの多い中ですが、「われらはつねに真鋭を尊び、気理合一を目差してはげみ、そこに初めて必勝の神機が出てくることを求めて進む」ものでありたいと願います。
 

「必勝の神機」とは、笹森順造先生がキリスト者であられることを思うと、明らかに、聖書のあの教え、あの言葉を踏まえておられるのだと思います。

聖書の「あの教え」、「あの言葉」とは・・・、


「わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」
 (イエス・キリストのことば/ヨハネの福音書 16章33節)
ーーー

だれが、私たちをキリストの愛から引き離すのですか。苦難ですか、苦悩ですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。
・・・・・
しかし、これらすべてにおいても、私たちを愛してくださった方によって、私たちは圧倒的な勝利者です。
 (ローマ人への手紙 8章35〜37節:使徒パウロがローマの教会に宛てた書簡)



以下は、2016年の 4/16 に 「剣道とキリスト教」のブログや、facebook に投稿した一文です。

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「日本人のとらざる所」

 (2016 416日)

昨日(4/15)の川西市剣道協会(本部道場)での練習の合間に、今年89歳になられる師範が二人の方に語っておられました。
私も、すぐ横で正座していたので、拝聴させていただきました。
「理合(りあい)のわからぬままに七段で終えてしまう者もある。」

剣の道はなかなか厳しいものと、あらためて思わされました。 
帰ってから、久しぶりに笹森順造先生の『剣道』の本を取り出し、幾つかの項目を読んでみました。
Kendo_Kendo-Michishirube


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付録 三、剣道・しない競技用語解説
・「理・り」----- わざを出す心の働きにかなう道理。この理に従って機会に乗ずること。 
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第二編 競技指針
 二、技術編
第二章 稽古の進め方
(乙)心術
 第四節 心気理機術の五格
  三、気理合一
 まず気を静めて相手に対する。危急に臨んで気が騒ぐと、みずから敗を招くことになる。たとえば水動いて魚驚くようなものである。平常から気を丹田に納め、驚、怖、惑、疑、憶、侮、驕の七病を去り、敢然として、理の則るべき端を捉え得るようにならなければならない。
 豪気も正理を逸すると百害あって一利ない。たとえば、流水原野に流れても、横溢氾濫したのでは田畑人畜に禍いを流すのみである。理に則り道によって奔れば発電、灌漑、飲料みな役に立つ。
 稽古における気合も強弱、虚実、掛引などに使うよりも最も大事なことは理によって勝つことである。打突の技にしても、理合正しく筋道正しく法に則って使うと、止むに止まれぬ尊い勝が出る。
 希勝や騙打ちはわれらの恥じる所、兵は詭道なりという孫氏の言は日本人のとらざる所である。
われらはつねに真鋭を尊び、気理合一を目差してはげみ、そこに初めて必勝の神機が出てくることを求めて進むのである。

 

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写真:
1. 剣道時代_1976-04_笹森順造範士急逝
2. 剣道時代_1976-04_笹森順造先生をしのぶ
3. 笹森順造 著『剣道』(左)
 佐々木季邦 著『剣道 みちしるべ』(右)

自分を守ること=間合い

『自分を守ること=間合い』

先週の金曜日(11/20)の剣道。
 
師範から、切り返しの注意点として、「一本めの切り返しは、面から面までを一呼吸で行うように。」と、「面を打った時に、面打ちが深すぎるので 物打ち(竹刀の先から 25〜30センチの部分)で打つように。」との助言をいただきました。

剣道-庄司師範の教え_物打ちで打つように_2020-1120_19:50
写真:庄司師範(九十歳代の先生です)

そして・・・、この日の一番の教えは、練習前に声をかけてくださったときの言葉です。

「剣道では、攻撃(打ち込むことなど)とともに、自分を守るようにすることが大切です。自分を守るとは、相手との間合いなのです。」
  
以前、担当していた神学校(福音聖書神学校)の「教育心理学(発達心理学)」( 2005年に『キリスト教人間学』に講座名を変更)の授業で、テキストとして使った、『境界線(バウンダリーズ)』の本を思い浮かべていました。
 
・2005年4月に、「バウンダリーズ(境界線)」の概念の紹介と人間理解を深めるために、『キリスト教人間学』の講座を開講し、6年間にわたり妻と共に二人で授業を担当。
 
対人関係で、「踏み込まれている」ことさえわからずに傷を受けていたり、相手の領域に「踏み込みすぎて」感情的にも実際的にも互いの関係が悪くなっていたり、心身ともに疲れ果ててしまっていることもありますね。
 
『境界線(バウンダリーズ)』の本は、とても大切な教え、まさに、対人関係の「間合い」を知るために、オススメの一冊です。 


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『境界線』
ヘンリー・クラウド/ジョン・タウンゼント 著
中村佐知・中村昇 共訳

地引網出版(2004年10月1日)

<参考>
『剣道は、究極のコミュニケーション!』










剣道は、究極のコミュニケーション!


剣道は、究極のコミュニケーション!
 
左膝を痛めていたので、剣道の練習はしばらく休んでいました。
今日(12/13)は一ヶ月ぶりに、総合体育館の二階、武道室で行われている、本部道場の練習に参加。
軽めの練習(6割くらい)でセーブしました。 

庄司師範の教え_理合と竹刀の持ち方_2019-1213

92歳の師範と、60歳台のN先生と、本部道場代表のT先生との練習。
早めに、15分くらい前に練習を終えて、面を外して素振りをしていると、近づいて来られた師範が、にこやかに「剣道は精神、理合、許すところ・許さざるところ、の鍛練です。闇雲に打ち込んでは上達しません。」と声をかけてくださいました。
短い時間ですが、いつも、大切な教え。
竹刀の握り方、左手と右手の使い方、打ち方も。 


 
私にとっては、なかなか習得が難しい教え「理合(りあい)」、究極のコミュニケーションの領域です。
 
知ったこと、分かったことと、体得しているか否かは、全く違いますね。
 
ーーーーー
 
神学校で、神学生たちを前に「キリスト教人間学」(旧講座名・「教育心理学・発達心理学」)を家内と二人で教えていた時のメインテキスト『バウンダリーズ:境界線』(ヘンリー・クラウド/ジョン・タウンゼント 著/中村佐和・中村昇 共訳/地引網出版 / 2004-10/1 発行)のことを思い出していました。
 
この本が出版されて間もない時に、大阪のジュンク堂書店で神学校の授業用にふさわしい本がないか、家内と探しに行っていて、見つけました。(20054月)

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それで、神学校の授業講座名も「キリスト教人間学」に変更。
この講座名で再スタートした頃、翻訳者の中村佐知さん(アメリカ在住)にメールで連絡をして、いろいろアドバイスもいただきました。
 
当時、教会内の対人関係(牧師・役員・教会員)で悩みを抱えたり、心身共に疲れを覚えて通院や休業、退職を余儀なくされた牧師たちの事例が、関西地域の各教団・教派の諸教会でも見受けられるようになっていました。

それから、15年。
対人関係における「バウンダリーズ」の大切さ、良きコミュニケーションを培うことの重要性については、日本の社会でも当然の基本的知識として共有されて来てはいます。
ただ、お互いに、どれだけ「体得」しているかは、別なのかもしれません。
 
教会においても、社会の様々な領域でも、良き人間関係や互いに敬い尊敬する「良きコミュニケーション」を培う(体得する)ことは、本当に大切ですね。
 
聖書の教え、剣道の教えも、共通しています。
 
<聖書の教え>
「愛をもって真理を語り」、「尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい。」
 
<剣道の精神・キリスト者の生き方>
 「円満」「柔和に穏やかに」
・小野派一刀流 17代宗家:笹森建美師 の言葉。
 (日本基督教団 駒場エデン教会牧師 / 20178/15 召天)
ーーーーー