パウロ
千手観音?、それとも、対処できる秘訣?
『千手観音?、それとも、対処できる秘訣?』(No.6)
(動画:5分)
千手観音は、直面するさまざまな事柄に対して、知恵や経験、道具、手段、アイテムで対応できる者になりたいという、人間の願望の表れではないでしょうか。
「剣禅一如」を説き、柳生但馬守宗矩をして柳生新陰流の地位を確立させた人物が、臨済宗の僧侶、沢庵宗彭です。ある時、沢庵は「とらわれない心」すなわち「不動智」を説く中で次のように話しました。
・・・・・
<中略>
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何事にも心とらわれずに、動揺することなく、あらゆることに対して「対処できる秘訣」はあるのでしょうか?
https://youtu.be/Lsb11mV6KAg
2022_4/29
知っている?
「知っている?」
使徒パウロは、ギリシャ南部のコリントの教会に宛てた手紙で、「自分は何かを知っていると思う人がいたら、その人は、知るべきほどのことをまだ知らないのです。」(1コリンと 8:2)と述べています。
最近、国内外の政治動向に関連する<事実の断片>をもって、それが全てのように言い、「あなたもこれを知るべきだ」と 主張するケースや言動を目にします。
( facebookグループや、SNS、ブログ、インターネット上で。)
しかし、情報収集も「するかしないか」も含めて、その人(「知るべきだ」と迫られた人)の主体性にあることを心に留め、尊重すべきことであると思います。
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柳生但馬守(やぎゅうたじまのかみむねのり=柳生新陰流の開祖)に向かって「剣禅一如」を説いた沢庵は、「不動智神妙録」において、次のように述べています。
「・・・我がしらさる事、何ほどかあらんに、しらすして、みななき事といはゞ、百の事を六つ七つしりて、その他のことを人いふに、みななしといはゞ、九十みななき事になりぬ。・・・」
<現代訳>
「自分の知らないことが、この世の中にどれほどたくさんあることでしょうか? 知りもしないことだらけなのに、自分の知らないことは、みんなないことだといおうとします。百のことのうち、六つか七つしか知らない者が、それ以外のことをいわれて、それは全部、ない事だといいます。すると、九十かそれ以上のことが、みな、ないことになってしまいます。・・・」
(p.212 『知らずに疑う愚かさ』 )
「不動智神妙録」沢庵宗彭(たくあん そうほう)著/池田諭訳/タチバナ教養文庫)
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時の嵐や渦には近づかないことが賢明のように思わされます。
そして、使徒ペテロ の手紙に記されているように、「柔和な心、恐れ敬う心、健全な良心」をもって、弁明していきたいものです。
(1ペテロ 3:16)
皆様の心が様々な流言や不安にさせる報道やコメント、人格や尊厳を省みないような言葉から守られますように、お祈りいたします。
何を見張るよりも、あなたの心を見守れ。
いのちの泉はこれから湧く。(箴言4:23)
・ 2020/12/20 投稿記事:YouTube 動画にて再録(2021- 6/22)