剣道とキリスト教

佐々木季邦師範

佐々木季邦師範『意欲と信念』


佐々木季邦師範(範士・九段)の論説、
全日本剣道連盟の『現代剣道百家箴(ひゃっかしん)』『意欲と信念』を久しぶりに読んでみました。
剣道修行の奥深さを思わされます。  

  
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 写真:「佐々木季邦先生 ご夫妻を偲ぶ会」_2015-1017 大阪府立大学 にて撮影
 
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全日本剣道連盟の『現代剣道百家箴(ひゃっかしん)』(全日本剣道連盟創立20周年を記念して 1972(昭和47)年に発行された図書)が、ホームページに掲載されています。
 
学生時代に4年間、大阪府立大学剣道部でご指導をいただいた、佐々木季邦師範(ささき すえくに/九段・範士)の論説『意欲と信念』が掲載されています。どうぞご一読ください。
  
『意欲と信念』 佐々木 季邦(剣道範士八段)

 
https://www.kendo.or.jp/knowledge/books/kendohyakkashin_55/

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● 『現代剣道百家箴』 全日本剣道連盟 のホームページの解説より

ホームページへの転載にあたり
 広報・資料小委員会

 『現代剣道百家箴ひゃっかしん』は、全日本剣道連盟創立20周年を記念して1972(昭和47)年に発行された図書です。
 <中略>
 発行から1998(平成10)年まで全剣連刊行物として広く剣道愛好家へ頒布しておりましたが、絶版してから20年余りが経過し、いまでは入手困難な図書となっております。
 そこで、広報・資料小委員会といたしましては、未だ収まらないコロナ禍にあって、思う存分に稽古ができない愛好家の皆様方に向けて、先人の貴重な体験をお伝えできればとの思いからホームページへの転載を企画いたしました。


https://www.kendo.or.jp/knowledge/books/kendohyakkashin_00/


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『人がその友のために』 〜共通の奥義〜

有田優牧師と笹区季邦師範_A

『人がその友のために』
<剣道とキリスト教_01
 
「剣道とキリスト教って、どんな関係があるの?」と身近な方々や同僚の牧師からも問われたことがあります。
この問いに対する答え、キーワードは、「友のために」と「捨て身」です。

 私は、中学2年の時から五十数年間剣道を練習しています。その中での一大転機は大学一年の終わり、1973年3月11日に教会の礼拝に初めて出席し、そこで信仰を持ったことです。 当時、「剣道を通して、人生の柱を見出す」と友人たちにも語っていた私でした。

 初めて出席した石橋キリスト教会の礼拝で、有田優(ありた まさる)牧師の語るメッセージ、「神はあなたがどのような罪人であるか、すべてご存知の上で、あなたに『友よ』と呼びかけてくださり、『私のもとに来なさい。』と招いておられます。」に深く心を探られ、イエス・キリストを私の罪からの救い主、人生の主として信じました。
 この時から、十字架上ですべての人のために自らのいのちを捧げられた、キリストの「捨て身の愛」、すなわち

「人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。」(新約聖書・ヨハネの福音書 15章13節)

との、キリストのことばが、私の信仰の土台となったのです。


 そして・・・、今一つの鍵の言葉もお話ししたいと思います。

 大学入学と同時に入部した剣道部では、日々の激しい練習がありました。
私たちの卒業の翌年、昭和52年に九段を授与された佐々木季邦(ささき
すえくに)範士から、合宿などの折にいくつかの剣道の奥義について教えを受けました。
その中に次の歌があります。

「山川の瀬々に流るる栃殼も身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあり」

私は、ここに剣道の奥義「捨て身」の精神、「身を捨ててこそ生きる」が、キリストの十字架の死と復活を指し示しており、まさに合一、同じ生き方であると心に受け止めたのでした。
これが、私の「剣道とキリスト教」の原点なのです。

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<写真>
左:神学生の2年目、奉仕先の「港キリスト教会」の礼拝メッセージのためにおいでくださった、有田優先生ご夫妻と私。
 
右:大阪府立大学剣道部の「佐々木季邦先生ご夫妻を偲ぶ会」(20151017日)で展示された、佐々木先生の肖像写真と「剣道日本」(1985年1月)の表紙。

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